日本 松竹キネマの第一作「島の女」と川田芳子

 新しく設立された松竹杵まで、やっと公開された第一作は、「島の女」である。恋人との仲を裂かれた漁師の娘が、海を泳いで恋人に会いに行こうとする物語だった。11月に山田耕作指揮による40人の交響楽団の演奏付きで、歌舞伎座で披露された。披露公演の際には、小山内薫が松竹キネマの理想を語り挨拶を行ったという。木村錦花監督、ヘンリー小谷撮影、中村鶴蔵、川田芳子主演だった。監督は木村だが、実際はヘンリー小谷が仕切っていたと言われている。ヘンリー小谷は海岸の松の木の上にカメラを縛りつけて俯瞰撮影を行った。カットも割り、クロース・アップも使われたが、編集が不自然で、クロース・アップでは観客に笑いが起こったという。

 ちなみに主演した女優の川田芳子は、「島の娘」が初めての映画出演だった。それまで、松竹の大谷竹次郎社長の紹介で、川上貞奴の一座に加わり、舞台に出演していた。「島の娘」は大谷に呼ばれて主演し、舞台女優の経験を生かした手堅い演技を見せたという。こうして川田は松竹の人気女優第1号になり、栗島すみ子と並ぶ松竹の看板女優として多くの作品に出演していく。栗島が華やかな女優だったのに対して、川田は日本的なしっとりとした美人として人気を得た。

 第二作は「新生」(1920)である。教会に捨てられた捨て子の主人公が大きくなり、思いを寄せていた娘が他の男と結婚することになるという物語である。小谷はハリウッド流の演出術としてワン・ショットごとに具体的にアクションを指示した。この演出術は島津保次郎が完成させ、小津安二郎によって磨き上げられたと言われている。ちなみに、「新生」の脚本は伊藤大輔が担当している。

 「新生」以降は、「光に立つ女」(脚色・監督 村田実)が輸出向きに製作されている。撮影にあたって、気分を出すためにロケ先にバイオリンや蓄音機を持ち込んだが、成功しなかったという。