日本 松竹 ヘンリー小谷と栗島すみ子

 蒲田に建設された松竹キネマの蒲田撮影所では、アメリカ帰りの小谷ヘンリーのキャメラ技術とフィルム編集が好評を得ていた。「虞美人草」(1921)では女優として栗島すみ子を起用した。小谷は、映画女優としての基礎がない栗島の歩き方、化粧の仕方、涙を流す方法などすべてを指導したという。栗島は小谷の厳しい演出にこたえ、悲劇のヒロインを熱演した。若い映画ファンからも支持され、栗原は人気女優になった。栗原すみ子は日本最初の女優人気スターと言われている。

 「虞美人草」は、発電所の技師が貧しい娘のために金を工面するが、工面できなくなったことを娘が知り自殺するという内容である。封建的でサディズム的な新派悲劇の要素が含まれているが、砦を大規模なセットで作ったり、大群衆を使って撮影したり、クロース・アップを使用したり、スピードのあるカッティングを行ったりしたという。また、当時日本では珍しかった夜間撮影も行われたという。

 ヘンリー小谷は、「電工とその妻」「トランク」(1921)を製作するが検閲に引っかかり、ニュース映画へ向かい、松竹を去る。その頃には、ヘンリーの技術は弟子たちが習得していったため、ヘンリーの月給1,500円が高すぎると思われていたという。