松竹、日活の競作「大地は微笑む」 1925年

 この年、「大地は微笑む」(1925)という作品が、松竹と日活の競作となり、公開されている。

 「大地は微笑む」は、朝日新聞が当時としては高額な千円という懸賞金で募集したコンクールに当選した小説の映画化だった。選ばれた「大地は微笑む」を書いた吉田百助は、松竹蒲田に迎え入れられた。

 松竹版は、吉田自身が脚本を書き、牛原虚彦島津保次郎が共同で監督した。新派俳優の井上正夫、栗島すみ子が出演した。

 日活版は、畑本秋一が脚本を書き、三部構成で製作された。監督は、溝口健二、若山治、鈴木謙作が共同で担当した。当初は村田実が監督する予定だったが、体調が悪く3人が分担した。新人の中野英治が出演している。中野は野球部要員として日活の仕出し俳優をしていたが、村田に抜擢されて出演した。

 評判は日活版の方が高く、興行的にも成功を収めた。特に、溝口が監督した第一部が高く評価され、スランプ状態だった溝口が立ち直るきっかけとなったとも言われる。