我々はなぜ「カリガリ博士」に魅せられるのか?

 ビデオ・レンタル店の膝から脛にかけてのゾーンには、時折宝物が隠れていた。新作でもなく、おしゃれでもなく、話題作でもない、多くの作品たちが、そこにはいた。彼らの多くは埃を被り、埃は見てみようかと思う気持ちを削ぎ、さらに埃はたまっていった。

 「カリガリ博士」(1920)はそんな埃を被ったビデオの1つだった。どうして借りようと思ったのかは、今では思い出せない。おそらく、何かの本で「カリガリ博士」について読んだことがあり、脳に刻まれていたのだろう。

 借りてきてみた。そこには、何とも奇妙な世界が広がっていた。歪んだ建物、三角のテーブル、台形の窓・・・現実と同じものを映し出すことが出来るという映画の特性を完全に無視した世界がそこにはあった。チェザーレが初めて眼を開けるシーンでは、画面いっぱいにクロース・アップにされた顔の迫力に圧倒された。

 衝撃だった。これまでには見たことがない世界がそこにはあった。その後いろいろ調べて、表現主義という言葉を知った。


 映画が公開されたのは1920年。製作されたのはドイツである。第一次大戦で敗戦国となったドイツは、インフレなどによって国民生活は疲弊していた。そんな中で登場したのが、「カリガリ博士」である。ドイツ人の内面を反映したなどと様々な分析がされている「カリガリ博士」だが、物理的な理由も挙げられている。例えば、エネルギー不足から照明の利用が制限されていたために、手書きで影を書く必要があったという点などである。そして、表現主義自体は「カリガリ博士」から始まったものではなく、絵画や舞台ではすでに使われて、評判を呼んでいたのだ。

 「カリガリ博士」は物理的な要因と、当時の流行の産物であるともいえる。脚本を担当したカール・マイヤーの暗さが、見事にマッチしたのも成功の理由だろう。

 私はいったい何にそれほどの衝撃を受けたのだろうかと考えると、それはとにかく物珍しさにあったことは否定できない。ストーリーの含意とか、セットの芸術性とか、そういった話ではない。とにかく、見たこともない世界を見ているという興奮に酔いしれたのだ。

 モノクロ・サイレントの映画自体が、現代の私たちにとって物珍しいものだ。サイレント映画を今敢えて見ることの理由の1つに、現代では失われてしまった手法を見る楽しさがある。そして、サイレント映画の魅力の1つに、人物がしゃべらないという、非現実的な要素が挙げられる。「カリガリ博士」の世界が、今見て(衝撃を受けながらも)すんなりと受け入れられるのは、サイレント映画という世界自体が、今私たちが見ている映画よりも、非現実的な存在だからだとも考えられる。もし、「カリガリ博士」がトーキーだったら・・・考えられない。


 ドイツ表現主義とは、1920年代初頭のドイツ映画を語る上での重要なキーワードである。だが、その割に他の作品の名前は聞かない。その理由の1つとして、表現主義の最大の魅力が、「物珍しさ」にあったからではないか。2作、3作と表現主義映画が作られるたびに、物珍しさは失われていく。

 ゆえに、ドイツ表現主義とは「カリガリ博士」につきるのだ。インターネットも普及し、映像の流通も多様になった時代において、かつてのよりも「カリガリ博士」の名前は有名になってしまった。それはもちろん良いことなのだと思う。だが、一方で、「有名な作品をこれから見る」という気持ちが、映画を見る目を曇らせてしまうことが多々あること忘れてはならない。あまり深く考えずに「カリガリ博士」を借りて見たときの私の衝撃を、これから「カリガリ博士」を見る人々の中で、1人でも多くの人が感じてくれたら・・・何となくうれしい。

カリガリ博士【淀川長治解説映像付き】 [DVD]

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