ルドルフ・ヴァレンティノとパラマウントの闘争

 ルドルフ・ヴァレンティノは、パラマウントに莫大な利益をもたらした。一方でヴァレンティノは、自分の給料に不満を持っており、その不満を発散するかのように、映画製作上の支配権をパラマウントに要求したという。

 「血と砂」(1922)では、リアリズムのためスペインで撮影するべきと主張するも、拒否されている。また、使いたいと思った家具や衣装の請求を、パラマウントに送ったりもしたという。

 パラマウントは映画製作上の支配権をあきらめるなら週給7,000ドル(それまでは週給1,200ドル)にすると提案するが、ヴァレンティノは拒否している。パラマウントはそんなヴァレンティノに対して、1922年末にかけて仕事と給料の支払いを差し止めて、裁判となった。ヴァレンティノの要求の裏には、当時の恋人(後に結婚)だった、美術デザイナーのナターシャ・ランボヴァの意向も大きかったといわれている。

 ヴァレンティノとパラマウントの闘争について、アレクザンダー・ウォーカーは「スターダム」で次のように書いている。

 「スターを駆り立てているのは、今や個人的な威信、あるいは芸術的完成度である。(中略)映画会社は問題を金で解決しようとするのに、スターは自我を満足させることの方に固執するので、両者の戦いは膠着状態に陥る」

 一方でヴァレンティノは、「海のモーラン」(1922)でイメージとは違う役も見事にこなしたが、性的な魅力に欠けていたために興行的に失敗したという。ヴァレンティノ自身は現代的な筋が失敗の要因と考えていた。


【関連記事】
映画評「海のモーラン」

スターダム―ハリウッド現象の光と影

スターダム―ハリウッド現象の光と影