日活 伊藤大輔「下郎」傾向映画の先駆け

 伊藤大輔は、「忠次旅日記」(1927)のほかに、「下郎」(1927)という作品も監督している。主人の仇討ちにお供した下郎が、敵を偶然倒してしまうことで、敵に追われるようになり、主人にも裏切られて無残に殺されるという内容の作品で、封建社会の階級制度への痛烈な批判が込められている。

 「下郎」は、それまでに多く作られてきた、講談を元にした作品で盛り込まれていた、江戸時代の意識を反映した家臣の忠義が描かれるものではなく、オリジナル・シナリオや大衆小説を原作としたニヒリズムや反逆精神を謳った時代劇である。このような作品は、1920年代半ばから作られ、マキノ映画の脚本家である寿々喜多呂九郎や山上伊太郎が代表格だった。

 この流れは、1920年代後半から1930年代にかけて流行する傾向映画の流れへと連なっていく。傾向映画とは、メジャー映画製作ながら、社会主義イデオロギーに傾斜した映画のことである。当時は露骨に社会・政治批判はできなかったので、時代劇の中に、巧妙に封建制批判や思想を織り込んだものが多く作られた。

 傾向映画のピークは1930年頃で、日活多摩川撮影所の現代劇部が中心となって作られていくが、京都大将軍撮影所で作られた「下郎」は傾向映画の先駆けといえる。