1909

 MPPC加盟社の活動(3)

MPPCの中でも大きな規模を誇ったヴァイタグラフ社は、主にブルックリンのスタジオで映画製作を行った。かつては創立者でもあるスチュアート・ブラックトンが唯一の監督だったが、ブラックトンが数人の監督を統制する形で映画を製作していた。1909年…

 MPPC加盟社の活動(2)

マックス・アンダーソン(設立者でもある)が扮した「ブロンコ・ビリー」シリーズが人気を呼んでいたエッサネイ社は売上高ではエジソン社、ヴァイタグラフ社に次ぐ会社として活躍した。また、エッサネイ社は昨年からカリフォルニアでも映画製作を行っており…

 MPPC加盟社の活動(1)

MPPCは加盟社の製作尺数を調整するだけで、内容は自由に任されていた。 スター・フィルム社は、ジョルジュ・メリエスはフランスで映画製作を行っており、この年も「気紛れな幻想」(1909)といった作品を製作したが、10年前から変わらないメリエス…

 ヨーロッパにおけるカルテルの挫折(2)

ヨーロッパで模索されたカルテルCIDEFはすぐに挫折することになる。その理由は、いくつかある。「フィルムの4ヶ月間の貸し出し後に返還」という規定には、興行者やレンタル業者が反対した。興行者やレンタル業者にとっては、発売から数年たった作品で…

 ヨーロッパにおけるカルテルの挫折(1)

ヨーロッパでも、アメリカのMPPCを真似たカルテルの形成を模索され、2月にパリでジョルジュ・メリエスを議長とする会議が開催された。 この会議では、MPPCと似た国際映画製作販売業者委員会(CIDEF)の設立が決定された。準備会議ですでに決定…

 MPPCと独立系の映画製作会社の対立(3)

アメリカの独立系の映画会社は、リュミエール社からフィルムを輸入し、足りない分はイーストマン社のフィルムをリュミエール社のものと見せかけ転売した。イーストマン社は売れればよかったので黙認していたという。機械はMPPCの保有する特許を使用して…

 MPPCと独立系の映画製作会社の対立(2)

1909年3月、アメリカ国内でMPPCに反対する人々はカール・レムリを中心に独立映画連盟を設立した。外国のフィルムを輸入して配給していたが、映画の本数が足りなくなり、レムリは映画製作会社のインディペンデント・モーション・ピクチャー社(IMP…

 MPPCと独立系の映画製作会社の対立(1)

昨年、アメリカにおいて、エジソン社を中心に結成されたカルテルであるMPPC(モーション・ピクチャー・パテント・カンパニー)は、この年の1月1日より営業を開始している。MPPCの営業開始は、MPPCに反発する映画会社とMPPCとの対立の幕開…