フランスにおける映画の危機

 1895年12月のシネマトグラフの公開から1年以上が経過した1897年。フランスにおいて映画は停滞を迎えていた。シネマトグラフよりも質の悪い様々な機械による興行は、物珍しさを失った後も繰り返し観客を呼ぶほどの魅力を提供できなかった。シネマトグラフ自体も、当時最高の質を保持していたといっても、チラつきなどがなかったわけではなく、繰り返し観客を呼ぶのは難しくなっていた。

 そんな状況に追い討ちをかける事件が起きる。それが「バザールの大惨事」と呼ばれる火災だ。

 1897年5月に行われた慈善バザールの出し物の1つとして、小屋で映画が上映されていた。その際、フィルムが引火し、火災となったのである。100名以上の人間が亡くなり、しかも犠牲者には上流階級の女性たちが多かった。

 この事件によって、フランスでの上流階級の人々の心は映画から離れていってしまった。誕生早々、映画は危機を迎える。