日本映画(1902年)

 当時、日本では国内で製作されたフィルムよりも、外国から輸入されたフィルムの上映の方が多かった。そんな中、吉沢商店がアメリカから輸入したフィルムを明治座で公演する際に、蓄音機を使ってレコードによる映画説明を行った。弁士の代わりをレコードが果たしただけと言ってしまえばそれまでだが、スピーカー自体のもの珍しさもあり、大きな反響を呼んだ。

 国内の映画製作では、横田永之助が「肥後の駒下駄」という作品を製作している。この作品は、旧劇(時代劇)映画第一号と言われており、歌舞伎で活躍していた人物が出演していたが、出来はあまりよくなく関西のみでの上映となったらしい。