関東大震災の日本映画への影響

 1923年9月1日、関東大震災が起こる。関東大震災は東京の文化の変化に大きな影響与えた。震災を境にして、伝統的な文化が後退して、漫画、野球、女性の職業、ラジオ放送、大衆小説といった新しい文化が前面に出てくることになる。

 関東大震災は映画にも少なからず影響を与えた。

 日活は、本社や直営の映画館全30館中16館が焼失した。また、横田商会、吉沢商店、エム・パテー、福宝堂から引き継いだ内外の大量のフィルムも焼失した。日活向島撮影所も被災し、スタッフは京都の大将軍撮影所へ向かった。京都でスタッフたちは時代劇部と現代劇部に分かれて映画を製作した。

 松竹は、京橋にあった本社他、直営・配給の映画館約100館が焼失した。東京の蒲田撮影所も被災し、時代劇の撮影所として建設しようとしていた京都・下加茂に、撮影所を急ピッチで作って、蒲田の製作スタッフを移転させている。

 映画興行はしばらく中止となった。10月1日に寄せ集めの古映画を小石川の伝通館で上映したところ大入りとなり、震災前の5倍の入りとなったという。