1900

 イギリス Bamforth Films社の作品 1900年

「Ladies' Skirts Nailed to a Fence」 イギリスの映画製作会社Bamforth Filmsによる作品。 木のフェンス近くでおしゃべりをしている2人の女性のスカートの裾を、男の子が逆側のフェンスに釘で打ちつけてしまう。 内容はちょっとしたコントだが、注目すべき…

 フランスの作品 1900年

「KOBELKOFF」 フランスの作品。カーニヴァルのフリーク・ショーに出演していた両手両足のない芸人KOBELKOFFが、ワインを飲んだり、ダンスをしたりといった様子を撮影。 最初期の映画にはヴォードヴィルなどの芸人が多く出演していた。その系統の1本である…

 フランス ゴーモン社の作品 1900年

「AVENUE DE L'OPERA」(1900) 製作国フランス Société des Etablissements L. Gaumont 監督アリス・ギイ パリのオペラ通りの様子を、逆回しで見せる。 映画草創期、有名な町並みの撮影は頻繁に行われていた。この作品は、そこに逆回しという新趣向を盛…

 イギリス ジョージ・アルバート・スミスの作品 1900年(2)

「Grandma's Reading Glass(おばあさんの虫眼鏡)」 イギリスの映画製作者、ジョージ・アルバート・スミスによる作品。 おばあちゃんの虫眼鏡を使って、少年が様々なものを拡大して見る。 初めてクロースアップを使用した作品とも、初めて登場人物の視点か…

 イギリス ジョージ・アルバート・スミスの作品 1900年(1)

「Let Me Dream Again」 イギリスの映画製作者、ジョージ・アルバート・スミスによる作品。 中年男性が若い女性とテーブルで楽しげに酒を飲んでいる。だが、すべては夢でしたという落ち。 フランス・パテ社にも同内容の作品がある。どうやらこちらの作品の方…

 イギリス セシル・ヘップワースの作品 1900年

「How It Feels to Be Run Over」 イギリスの映画製作者、セシル・ヘップワースによって製作された作品。当時の多くの作品と同様に、約1分である。この作品が、同じように1分のリュミエールの映画と違うのは、カメラが登場人物の1つであるということだ。 …

 アメリカン・ミュートスコープ・アンド・バイオグラフ社の作品 1900年

「HOW THEY ROB MEN IN CHICAGO」 監督ウォレス・マッカッチョン 女性に見とれている男性を強盗が殴りつけて、金を奪う。その後通りかかった警官は、まだ少し残っていた金をくすねる。 書き割りの前で演じられるちょっとしたコメディ。タイトルにあるように…

 エジソン社の作品 1900年(2)

映画が誕生してからまだ数年しか経っていないにもかかわらず、この頃の作品にはリメイク作品が少なからずある。リメイクというと、企画力不足などが指摘されるケースもあるが、昔から、しかも映画草創期からの現象であることがわかる。 「NEW BLACK DIAMOND …

 エジソン社の作品 1900年(1)

この頃の作品を見る楽しみの1つとして、当時の出来事を映像として知ることができるという点がある。特に、自然災害の傷跡を記録した作品は貴重だ。 「SEARCHING RUINS ON BROADWAY FOR DEAD BODIES, GALVESTON」 テキサス州のガルベストンの廃墟となった街…

 特許戦争、和解と決裂

エジソン社とバイオグラフ社(旧:ミュートスコープ社)との裁判による争いは1900年に和解を迎えることになる。これはバイオグラフ社がエジソン社に申し入れたもので、エジソンを映画の発明者と認めた上で、エジソン社の保有する権利をバイオグラフ社が…

 1900年のその他の状況

オーストラリアではこの年、オーストラリア初の劇映画「十字架の戦士が」製作されている。布教を広げていた救世軍による作品で、救世軍創設者の息子ジョゼフ・ペリーによって作られた。殉教と救世の活動を描いたプロパガンダ映画だったという。 フィンランド…

 ジョルジュ・メリエスの「ジャンヌ・ダルク」

ジョルジュ・メリエスは「ジャンヌ・ダルク」を撮影している。歴史の参考資料に忠実に撮影されたというこの作品は、商業的にも成功を収めた。

 ブライトン派−イギリス

イギリスで撮影を行っていた人々が、後々まで語り継がれる作品をこの年より製作を始めている。その作品の先駆性により、彼らは「ブライトン派」と呼ばれるようになる。 ジョージ・アルバート・スミスは、この年に映画製作会社と契約し、その契約金で撮影所を…

 パリ万博とパテ社とゼッカ

パリ万博にはフランスの映画会社のパテ社も出展していた。パテ社が出品したのは、蓄音機であった。出展自体は映画とは関係ないが、パテ社はここで重要な人物を雇い入れることになる。フェルディナン・ゼッカだ。ゼッカはこれまで、独白の専門家として蓄音機…

 パリ万国博覧会

1900年はパリで万国博覧会が開かれた年である。万博は(少なくとも当時の万博)は、世界の最先端の科学技術を見られる場所であり、映画関連の技術も多く発表されていた。 シネマトグラフの成功から5年が経ていたリュミエール兄弟は巨大なスクリーンへの…