キネトスコープ エジソン(8)

 結局、エジソンの映像は覗き見式のものとして開発され、1891年には特許が取られる。それは「キネトスコープ」と名づけられた。同時に撮影機についても特許が申請されており、こちらは「キネトグラフ」と名づけられた。
 エジソンは研究には消極的だったにも関わらず、発表に際しては大きく取り上げられた。これは、エジソン自身の煽るやり方があるだろう。すごいものが開発されているという情報をメディアに流し(すぐにカラーでトーキーになると吹聴していた)、世論が沸騰するにまかせるという手法もまた、エジソン知名度ゆえにできることだ。これが、誰も聞いたこともない人物だったら、誰も相手にしない。
 ここに至って、ようやく研究を担当していたディクソンは映像の研究に時間を多く割くことができるようになった。エジソンは鉄鉱石選別事業にまだ夢中だったが。ディクソンは研究を進め、キネトスコープの1秒間あたりのコマ数を46コマとした。コマ数を多くする事で、チラつきは和らげられたが、1コマあたりの点灯時間が短くなったので、相当暗い映像となった。
 この後、キネトスコープは有料で公開されることになる。

 エジソンは、映像の記録し、再生する機械の完成に成功したが、映写のチラつきを抑えることができなかったために、覗き見式の「キネトスコープ」を発表することになる。おそらく、エジソン以外の人物の名前で発表されていなければ、歴史の中に埋もれてしまっていたであろうキネトスコープは、エジソン知名度ゆえに歴史の表舞台に立つことになる。映像はキネトスコープという寄り道をした後、いよいよ完成度を高めていくことになる。

 次からは、上映式の映画を開発した映画の父として知られるリュミエール兄弟について書いていく。