日本 旧派(時代劇)と新派(現代劇)の違い

 20世紀初頭の日本の大衆演劇は、歌舞伎と新派に二分されており、映画も歌舞伎を受け継いだ時代劇(旧劇)と、新派劇を受け継いだ現代劇(新派)に分かれた。

 両者の特徴の例として、恋愛の描き方の違いがある。

 歌舞伎の恋愛は、遊郭における遊女と客の色恋沙汰が多かった。遊郭の恋自体が祝福されざるもので、たいていは悲劇的に終わった。

 一方、新派劇の恋愛は、悲劇が一般的なテーマ(身分違いの恋、親に反対された恋)だった。ここには、恋愛を人生の最良の価値のひとつとする西洋の思想の影響が見られる。言い換えれば、恋愛を肯定しようと努めながら周囲の人々の封建的な思想で引き裂かれる悲劇といえる。歌舞伎の恋と違い、うまくゆけば幸福な結びつきになり得る恋が周囲の人々の無理解、偶然の不運、本人たちの意思の弱さなどによって悲劇となる。

 新派は、「自由な恋愛が大いなる可能性として目の前に現れていた明治、大正の大衆の心を揺り動かすものがあった」(佐藤忠男「講座 日本映画1 日本映画の誕生」)のだった。

 映画の世界においては、牧野省三尾上松之助、沢村四郎五郎といった歌舞伎出身者が京都で時代劇映画を、佐藤紅緑・桝本清といった新派劇の作者や藤沢浅二郎・関根達発といった新派劇の役者が東京で現代劇を作るようになっていた。

 また、舞台で立役と二枚目と言われた役柄の振り分けも、映画で踏襲されていた。

 立役とは、強くて逞しく、思慮分別にも富み、人格的な迫力と器量の大きさを持っている役柄のことである。武士の理想像をモデルにしているため、恋愛はしないことが武士の道徳である儒教の定めである。主人への忠義のために、妻や子への愛を犠牲にした。

 二枚目とは、甘い美青年で柔弱で軽率で頼りなく、ときには不良的でもある。歌舞伎の主たる支持層である町人は立役だけでは物足りないために必要とされた。家や仕事をほうり出しても女への愛のために死ねる美徳・純粋さを持てた。

 ちなみに西洋のロマンスでは、ヒーローは冒険と同時に恋をするものだった。

 映画評論家の佐藤忠男は「講座 日本映画1 日本映画の誕生」の中で次のように書いている。

古今東西をつうじて、メロドラマの最大のテーマは冒険と恋であるが、騎士道物語のヒーローたちはその両方をひとりでやる。しかし日本の歌舞伎では、冒険は立役の担当であり、恋愛は二枚目の役目である」

「西洋の映画は、子ども向けの活劇でも、さいごにはヒーローがヒロインを抱きしめるということがハッピー・エンドの定型であったが、日本の子どもは恋愛に価値があるとは教えられなかったから、それを嫌らしいと思った。他方、青年男女、とくに女たちは、そうした子ども時代の意識を引きずっていて恋愛に対しては臆病だったが、恋愛を悪と見る封建思想からも解放されたがっており、恋愛に憧れた。その及び腰の恋愛賛美にちょうど合っていたのが新派劇であった。このような意味で映画は<女子ども>のものとなった」

 新派は、主として二枚目と女形の恋愛ドラマだった。立役は二枚目の柔弱すぎる面を助ける補助的な役の場合が多かった。

「メロドラマの最大のテーマのひとつの冒険は、日本映画では、主として歌舞伎の時代劇の立役の演技スタイルを受け継いだ俳優たちをスターとして時代劇で成り立った。そしてもうひとつのテーマである恋愛は、やはり歌舞伎の二枚目と女形の演技スタイルを受け継いだ俳優たちによってまず新派劇で現代ふうにつくり直され、それを現代劇映画が受け継いだのである」(佐藤忠男「講座 日本映画1 日本映画の誕生」)

 日本では、スターの役柄(立役、二枚目)にあったストーリーを探し、演出された。その意味で、日本映画は最初からスター・システムだったといわれている。根幹には江戸時代の歌舞伎で確立された基本概念が根をはっていた。

 立役と二枚目の両方を演じたスターもいた。長谷川一夫はその代表例で、二枚目を主に演じたが、立役タイプも演じた。時代劇のスターには両方を演じるタイプが多い。若い頃は二枚目で、年を重ねてから立役のパターンも多い。



(映画本紹介)
日本映画の誕生 〜講座日本映画 (1)

 日本映画についての歴史や論評をまとめた「講座 日本映画」シリーズの第一巻。成り立ちから、「新派」「旧劇」といった重要用語の詳しい解説、弁士についてなど、日本映画初期を概観するには最適の1冊。