1908

 フィルム・ダール社と文芸作品−フランス(2)

「ギーズ公の暗殺」は、大衆受けはしなかった。大衆にとっては、劇作家のアンリ・ラヴダンのこともコメディ・フランセーズの役者たちのことも知らなかったのだ。大衆にとっては、作った人や出演者が舞台で有名な劇作家だったり、役者であったりすることに意…

 フィルム・ダール社と文芸作品−フランス(1)

高尚な主題に取り組みことを目的として昨年設立されたフィルム・ダール社が、この年「ギーズ公の暗殺」という文芸作品を世に送り出している。 モンタージュはなく、メリエスの映画と同じ舞台を撮影する方法で撮られた作品だったが、コメディ・フランセーズの…

 エクレール社−フランス

エクレール社では、ヴィクトラン・ジャッセが入社第一作「コルシカ魂」(1908)を製作、続いてアメリカの大衆小説の映画化である「ニック・カーター」シリーズを製作している。名探偵カーターが悪人を退治するという単純な活劇である「ニック・カーター…

 ゴーモン社−フランス

パテ社と並ぶフランスの映画会社であったゴーモン社は、この年1万平方メートルに及ぶ巨大スタジオを完成させ、「世界最大のスタジオ」と喧伝した。 ゴーモン社では、ルイ・フイヤードが筆頭となって演出を担当していた。フイヤードは脚本を書かず、即興で早…

 パテ社とジョルジュ・メリエス(2)

順調すぎるくらい順調だったパテ社に対してメリエスは、「各時代にわたる文明」(1908)といったメリエス流の夢幻的な作品を製作したが、興行的に振るわなくなっていた。文芸作品、庶民的な喜劇を制作するも失敗した。舞台にこだわっていたメリエスが、…

 パテ社とジョルジュ・メリエス(1)

エジソンのカルテル(MPPC)に参加した2つのフランスの映画会社、パテ社とジョルジュ・メリエスのスター・フィルム社は対照的な運命を辿っていた。 この年のパテ社は、7つのスタジオを保有し、多くの演出家たちが活躍していた。撮影はスタジオとロケを…

 エジソンのトラスト(MPPC)に対するヨーロッパの動き

アメリカにおけるカルテルの形勢は、ヨーロッパにも影響を及ぼした。ヨーロッパからカルテルの参加が認められたのは、パテ社とジョルジュ・メリエスのスター・フィルム社の2社だけだった。 3月に、ヨーロッパの映画製作会社たちによる国際会議が開催されて…

 クリスマスの悲劇

MPPCが発足して約1週間後の12月24日に、ニューヨークの警察はニッケルオデオンを不道徳として、500館に対し一斉に閉鎖を命じた。ニッケルオデオンを運営していたマーカス・ロウやウィリアム・フォックスは奔走し、閉鎖を数日後に解除させた。 当…

 モーション・ピクチャー・パテント・カンパニー(MPPC)の設立(2)

このまま決裂かと思われたが、バイオグラフ社のケネディがエジソン社に対して、このまま両社の意見が一致をしなければ、世界中にバイオグラフ社製の映写機を販売するとエジソン社に圧力をかけた。バイオグラフ社の映写機が世界中に広まると、エジソン社が形…

 モーション・ピクチャー・パテント・カンパニー(MPPC)の設立(1)

1907年末に、エジソン社の特許料の支払いに同意したアメリカの8つの映画会社は、エジソン社との協定に調印した。しかし、この8つの映画会社には、バイオグラフ社という大きな映画会社は含まれていなかった。 エジソン社は映画の賃貸業者に対して、年間…