映画人

 映画の興行的・娯楽的祖先(8−4) テアトル・オプティーク エミール・レイノー

テアトル・オプティークには、単なる風景ではなく内容があった。物語があった。その意味で、レイノーの功績は小さくない。実際、アニメーションの分野ではレイノーの功績は高く称えられている。CGの普及により、実写のアニメーションの境目が以前ほどはっ…

 映画の興行的・娯楽的祖先(8−3) テアトル・オプティーク エミール・レイノー

1895年10月にはクロノフォトグラフ・マレイを応用した「フォトセノグラフ」という写真撮影機を製作。フィルムをそのまま使うのではなく、塗り直したり、彩色してテアトル・オプティークに利用した。 1896年の4月からは二人の道化師を撮影し、新作…

 映画の興行的・娯楽的祖先(8−2) テアトル・オプティーク エミール・レイノー

レイノーの最初の出し物は「道化師とその犬」「うまい一杯のビール」「哀れなピエロ」の3本。反復や、歌をうたう人物たちの身振りを簡潔にする、背景と登場人物の分離といった現在のアニメーションでも行われている方法を用いていた。またサウンドつきで、…

 映画の興行的・娯楽的祖先(8−1) テアトル・オプティーク エミール・レイノー

テアトル・オプティークはエミール・レイノーが自ら開発したプラクシノスコープを発展させたもの。長い挿絵の帯を手動で巻きとって動かしながら、集光レンズと鏡の組み合わせでスクリーンに映写した。動画はゼラチンの帯の上に描かれ、帯の両側に空いた送り…

 エチエンヌ・マレー(3)

マレーは、1888年にロール式のペーパーフィルムを用いた撮影機での撮影に成功した。だが、フィルムの中心は一定ではなく、上下にズレていた。マレーは、この撮影されたフィルムのズレを欠点とは思っていなかった。マレーの興味はあくまでも動物の動きの…

 エチエンヌ・マレー(2)

「写真銃」は一定間隔で高速に撮影することができるだが、この段階ではまだ1秒間に撮れる枚数がまだ少ないし、まだフィルムではなくガラスの乾板を使用しているために1秒分しか撮影できない。 マレーも写真銃には不満を持っていた。だが、それは映像への応…

 エチエンヌ・マレー(1)

マイブリッジが行った実験は多くの人の知るところとなる。エジソンもその1人で、マイブリッジが作った連続写真が動く簡単な機械とエジソンの蓄音機をむすびつけた機械の相談を2人がしたという。 そんなエジソンよりも強くマイブリッジの実験に興味を持った…

 エドワード・マイブリッジ(2)

マイブリッジが撮影した写真をつなぎ合わせると、その後の映像で使われるフィルムに似ているように見える。だが、様々な面で異なる部分がある。 まず、それぞれの視点がずれているという点。1台のカメラで撮られたものではないため、当然のこととして中心は…

 エドワード・マイブリッジ(1)

エドワード・マイブリッジ。写真の発明についての話が終わり、そこから映像がどのように開発されていったかに話が移るときに必ず登場する人物だ。 マイブリッジが具体的にしたことは、馬が走る様子の連続写真を撮影したのだ。今考えるとあまりにも、大した事…

 写真 ジャック・ダゲール

残像現象という現象が静止画の連続を映像として脳に認知させるのであるのだが、それを映画の機械で再現するために必要なものの1つに写真がある。映画初期の作品はサイレント映画であったため、映画はとりあえず映像であればよかった。この書き方は正確では…

 残像 ジョゼフ・プラトー

機械の話の前に、なぜ人は動画を見ることができるのかについて知らなければならないだろう。それは、残像現象と呼ばれる現象によるものだ。物体を見ていると、目に投影されたイメージはその物体がなくなってもしばらくは残っているという現象だ。現代では脳…

 ジョルジュ・サドゥール「世界映画全史」(その2)

ジョルジュ・サドゥールと「世界映画全史」だが、いろいろと難をつけられている部分もある。 まず、サドゥールが映画を「進化」してきたという考えを持っていた事。少し極端に言うと、リュミエール兄弟の映画が1ショットのみで、光景をただ撮影しただけなの…

 ジョルジュ・サドゥール「世界映画全史」

今日から、はてなダイアリーを使って映画の歴史について書いていきたいと思う。 そこで何から始めようかと考えたところ、まずはジョルジュ・サドゥールについて。 ジョルジュ・サドゥールはフランスの映画研究家、映画批評家。代表作は邦訳も出ている「世界…