映画トピックス

 2008年秋 おすすめDVDラインナップ

2008年秋、これまで気軽に見ることが出来なかったサイレント映画が、3本のDVDとなって発売される。ラインナップを見て、思わずテンションが上がってしまったので、普段は単純なDVD紹介はしないのだが、特別に。 1本目は「国民の創生 グリフィス…

 ミューチュアル時代のチャップリン

1916年、エッサネイ社からミューチュアル社へとチャールズ・チャップリンは移籍する。チャップリンの給料はエッサネイ社のときの週給1,250ドルから年67万ドルへと跳ね上がる。引き続き映画製作上の自由を与えられたチャップリンは、ミューチュア…

 エッサネイ時代のチャップリン

1915年、キーストン社からエッサネイ社へとチャップリンは移籍する。チャップリンの週給はキーストン社のときの150ドルから1,250ドルへと跳ね上がる。しかし、それ以上にチャップリンにとって重要だったのは、映画製作上の自由を手に入れたこと…

 尾上松之助を考える

シルベスター・スタローンが自分の映画を酷評ばかりする映画評論家を撮影現場に呼んで、一緒に撮影用のヘリに乗せた。ヘリの中でビビッている映画評論家に、「自分たちはこんな危険な思いで撮影しているんだ!そして、自分たちのような映画で稼いだ金で、お…

 「サーカスが来た!」を読んで

「映画の出現は、つまり、従来の大衆文化をよりエリート的なものと、より卑俗なものとの両方に押しわけた。だがこのことは、いいかえれば、映画がこの中間の広範な市民階層、文字通りのミドル・クラスを、自分のなかにとりこんだことでもある。じっさい、映画…

 子供たちに幸せを与えた「ジゴマ」

「怪盗ジゴマ」とは、1911年に日本で封切られ、その後約1年間に渡り、日本を席巻した犯罪映画(および小説)のことである。凶悪な犯罪者のジゴマとジゴマを追う探偵との対決を描いた作品である。 ジゴマは人気を呼び、特に当時の少年を熱狂させたといわ…

 トマス・H・インス 映画製作を変えた男

トマス・H・インスの名前は映画史において一級品であるが、超一級品ではない。同時期に活躍した監督であるD・W・グリフィスが超一級品であるの比較すると、なぜインスの名前が一級品どまりなのかが見えてくる。 答えは簡単だ。インスには代表作がないのだ…

 「映画」を確立した独立系映画会社

映画草創期の1910年代のアメリカ映画界において、独立系映画会社というと、エジソン社を中心とした映画会社のカルテルだったMPPCに所属していない映画会社のことを指す。 独立系映画会社の代表的な社名と、それぞれを率いた人物名を挙げてみよう。フ…

 映画役者が「映画スター」になったとき

映画スターはいつから誕生したのだろうか?という問いにはどのように回答すればよいのだろうか? 映画は草創期から、国家元首といった固いところや、ヴォードヴィルの人気芸人といった柔らかいところまで、様々なスターを映画に登場させることで、人々の映画…

 キーストン時代のチャップリン

他のどんな映画人よりも映画史に深く名前を刻み込むことになるチャップリンも、当然のことながら映画界入りした当初は新人だった。キーストン時代のチャップリンを語るとき、そのことを忘れて語ることは、意味のないことだろう。 ヴォードヴィル芸人を両親に…

 ヘイルズ・ツアーズ 「映画」と映画の狭間

ヘイルズ・ツアーズとは、1900年代の中ごろに一世を風靡した映像を使ったアトラクションである。1905年にカンザス・シティを始め、アメリカ東部主要都市の遊園地に設置され、アメリカ人の国民的関心を呼んだ。スクリーンの列車の動きに合わせて、軋…

 ジェネラル・フィルムが映画にもたらしたもの

ジェネラル・フィルムとは、エジソン社を中心としてMPPCという名前の映画会社のカルテルが作った映画の配給会社である。ジェネラル・フィルムは、MPPCに加盟する各社が製作した映画を、契約をした映画館に配給するという役割を担った。 MPPCには…

 アドルフ・ズーカーの長期ロードショー制度が映画にもたらしたもの

後にパラマウントのボスとなるアドルフ・ズーカーは、アメリカでニッケルオデオンと言われた映画館の経営者として、映画界でのキャリアのスタートを切っている。1905年頃のことである。 ニッケルオデオンは文字通り「ニッケル(5セント)」という安価で…

 MPPCが映画にもたらしたもの

MPPC(モーション・ピクチャー・パテント・カンパニー)とは、1908年末に当時の大きな映画会社9社によって設立された団体のことである。9社とは、エジソン社、バイオグラフ社、ヴァイタグラフ社、ルービン社、シーリグ社、エッサネイ社、カーレム社…

 フィルム・ダールが目ざした「芸術」

フィルム・ダールとは1907年にフランスで設立された映画製作会社のことである。「フィルム」とは映画のことであり、「ダール」とは芸術のことである。その名の通り、芸術的な映画の製作をフィルム・ダール社は目指した。 フィルム・ダール社が「芸術」と指…

 ニッケル・オデオンが映画にもたらしたもの(5)

ただ、ここで忘れてはならない点が1つある。ニッケル・オデオンは人々と映画の距離を縮めたが、まだ現在の私たちと映画館の関係とは異なった存在であった。加藤幹郎の「映画館と観客の文化史」はニッケル・オデオンでは映画上映のみならず、ヴォードヴィル劇…

 ニッケル・オデオンが映画にもたらしたもの(4)

ニッケル・オデオンの誕生は、映画が産業として成り立つことを証明して見せた。それは、中流階級のみを相手にすることではなく、労働者階級も含めたより大きなマスを相手にすることで可能となったといえるだろう。実際、ニッケルオデオンはよりいっそう大きな…

 ニッケル・オデオンが映画にもたらしたもの(3)

労働者階級にとっての映画専門館が存在していなかったという状況の中、ニッケル・オデオンが1905年のピッツバーグに誕生している。ニッケル・オデオンは朝から夜まで、1番組について20分程度で映画を上映した。ニッケル・オデオンには客が詰めかけた。 …

 ニッケル・オデオンが映画にもたらしたもの(2)

ニッケル・オデオンは決して初の映画常設館ではなかったという点も触れておく必要がある。 1902年4月には、ロサンゼルスに映画専門館のエレクトリック・シアターがオープンしている。また、エレクトリック・シアターのオープンの前にも、数は少なかったが…

 ニッケル・オデオンが映画にもたらしたもの(1)

ニッケル・オデオンとは、映画草創期にアメリカ全土で映画を提供した映画常設館のことである。もっと分かりやすく言うと、映画館のことである。では、なぜ映画館ではなく、わざわざ「ニッケル・オデオン」という別名がついているのだろうか?それは「ニッケル…

 サイレント初期のシェイクスピア映画について

「silent shakespeare」はウィリアム・シェイクスピア原作のサイレント映画初期(1899−1911)の作品をまとめたDVDである。現在では高い人気を誇り、映画化作品が後を絶たないシェイクスピアの作品は、映画がこの世に誕生して間もない頃から映画化…