1914

 キーストン時代のチャップリンの作品「もつれタンゴ」

キーストン社のスターだったフォード・スターリング、ロスコー・アーバックルとの共演作。 1人の女性を巡って、チャーリーを含めた3人による恋の鞘当てが行われる。パワフルなアーバックルと比べると、スターリングとチャーリーはキャラクターが確立されて…

 キーストン時代のチャップリンの作品「新米活動屋(チャップリンの活動狂)」

映画の撮影現場に勝手に入り込んだチャーリーが、女優が苦境に陥っているシーンの撮影中に本物と勘違いして助けに入ってしまったり、火事の撮影で消火活動をしてしまったりというドタバタを繰り広げる。 バックステージ物の初期の作品と捉えることもできる。…

 キーストン時代のチャップリンの作品「夕立」

キーストン社ですでに人気を得ていたフォード・スターリングという喜劇俳優(スターリングはギャラの面で折り合わず、間もなくキーストン社を去る)との共演作。 夕立の後、水溜りを渡れない女性のために、角材を持ってきてあげようとするチャーリーとスター…

 キーストン時代のチャップリンの作品「メーベルの奇妙な苦境(メイベルのおかしな災難)」

メーベルとは、当時チャールズ・チャップリンが所属していたキーストン社で、コメディエンヌとして活躍していた女優メイベル・ノーマンドのこと。チャップリンがキーストンに入社したときには、すでに人気を得ており、この作品でも実質的な主役である。 舞台…

 キーストン時代のチャップリンの作品「泥棒を捕まえる人」

泥棒の仲間割れを目撃した男が命を狙われる。チャップリンがキーストン・コップの1人として登場する貴重な作品。失われていたとされていたが2010年に発見された。 チャップリンは後半に少し登場するだけの端役だが、お馴染みのチョビ髭のおかげで一瞬見…

 キーストン時代のチャップリンの作品「ヴェニスにおける子供自動車競走」

チャップリンが始めて浮浪者の格好で登場することで有名な作品。 この作品は工夫されていて面白い。最初に、自動車競走のシーンに浮浪者の格好をしたチャーリーが自分を映してもらおうと邪魔をするところから始まる。途中で、カメラをパンして観衆を撮影しよ…

 キーストン時代のチャップリンの作品「成功争ひ(成功争い)」

チャップリンのデビュー作として名高いこの作品はまた、チャップリンが浮浪者の格好をしていないことでも有名な作品だ。キーストン社に入社したばかりのチャップリンは、この作品ではシルクハットに片眼鏡、カイゼル髭にコートといういでたちで登場する。 ス…

 エジソン社の作品 1914年(3)

「THE ADVENTURE OF THE WRONG SANTA CLAUS」 エジソン社の作品。「Octavius」というアマチュア探偵のシリーズの最終作。 ある家族のクリスマス・パーティに呼ばれたOctaviusは、サンタの格好で子供たちを喜ばせるように頼まれる。いざ、サンタの格好になった…

 エジソン社の作品 1914年(2)

「THE ADVENTURE OF THE HASTY ELOPEMENT」 1人の探偵が車泥棒を探しに田舎町へ行く。そこで、駆け落ちをしようとする女性に探偵自身の車が奪われてしまう。追いかけるために、止まっている車に勝手に乗り込み、追う探偵。探偵が乗った車は、車泥棒が盗んだ…

 エジソン社の作品 1914年(1)

「ONE TOUCH OF NATURE」 エジソン社製作、ジェネラル・フィルム配給、Ashley Miller監督。 金持ちの初老の男性は、世の中のすべてのものに苛立っているような生活を送っている。ある日、森の中で1人の少年に出会い、自然と触れ合うことで、男性の心はほぐ…

 日本 輸入映画(1914)

この年、第一次大戦が始まると、ヨーロッパ映画が製作されなくなり、外国映画専門館が休業したりした。その一方で、戦争映画が流行り出し、戦場シーンがある古フィルムを編集して、新作として公開した。 この年、公開された主な輸入映画は次の通り。「ポンペ…

 日本 ニュース映画の試み(1914年)

この年、東京シネマ商会が、月2回のペースでニュース映画の製作を開始している。大正博覧会や京都動物園などを撮影したが、興行主の側で購入する余裕がなく、約半年で製作は中断されている。 この年勃発した第一次大戦のニュース映画も製作されている。日本…

 日本 弁士vs俳優

当時、日本の映画興行においては弁士が映画の説明を行っていた。弁士は不要という立場の人も少なくなかったが、弁士の人気は相変わらず高く、弁士によって映画興行の結果が変わった。また、弁士についての論評や番付も行われた。一方で、1914年頃から俳…

  日本 「カチューシャ」と「忠臣蔵」

第一次大戦勃発による輸入映画の暴騰から、資本金を4分の1にするまで日活の経営は悪化した。これを期に旧横田派が日活の主流派となり、他の派の人々は日活を離れていった。日活は、経費削減から、新作を手控え、短い作品とし、旧作の再上映で興行を間に合わ…

 日本 旧派(時代劇)と新派(現代劇)の違い

20世紀初頭の日本の大衆演劇は、歌舞伎と新派に二分されており、映画も歌舞伎を受け継いだ時代劇(旧劇)と、新派劇を受け継いだ現代劇(新派)に分かれた。 両者の特徴の例として、恋愛の描き方の違いがある。 歌舞伎の恋愛は、遊郭における遊女と客の色…

 日本 新派について

当時、日活は京都で時代劇、東京で現代劇を1ヶ月に4本製作し、時代劇と現代劇を組み合わせて上映した。 現代劇は新派と呼ばれ(悲しいセンチメンタルな作品が多かったため新派大悲劇と言われた)、時代劇は旧劇と呼ばれた。 ここで、新派についての映画評…

 日本 沢村四郎五郎

尾上松之助がスターとして活躍していた一方で、松之助の次に人気を得るスターも1914年頃から映画に出演している。沢村四郎五郎がその人物だ。 1914年から1924年までに約200本に主演したという沢村四郎五郎は、尾上松之助より美男で粋でいなせ…

 日本 尾上松之助と「児雷也」

この年、すでにスターとなっていた「目玉の松っちゃん」こと尾上松之助は、「児雷也」に出演している。 「児雷也」は、忍術ものという新しい分野を開拓した作品といわれている。「児雷也」はもともと中国の盗賊物語をヒントに江戸後期に大ベストセラーになっ…

 日本 天然色活動写真株式会社(天活)の設立

東洋商会の小林喜三郎、山川吉太郎らと旧福宝堂派が、キネマカラーを中心とする新会社、天然色活動写真株式会社(天活)を設立している。東洋商会の製作興行権を買い取る形として設立された。日活ができる前に福宝堂は、イギリスのキネマカラーの専売特許権…

 その他(1914年)

最初のドライブ・イン劇場であるエベッツ・フィールド・シアターが、アメリカ・ニューヨーク州にオープンしている。 また、オーストリア政府は、映画の世論に与える影響を考え、愛国的な映画のみを上映することとして、敵国の映画は上映禁止とした。 第一次…

 スペイン映画(1914年)

1914年にはスペイン全土で900を超える映画館があったが、上映された作品の中心は外国の作品だったという。カメラやフィルムを製造する会社が1つもなかったこともあり、製作体制は脆弱だったが、映画制作の中心だったバルセロナのイスパノ・フィルム…

 ドイツ映画(1914年)

ドイツではこの年、パウル・ヴェゲナーにより「ゴーレム」(1914)が製作されている。「プラーグの大学生」で演出助手を努めたヘンリク・ガレーンが、パウル・ヴェゲナーに協力してシナリオを書き、演出を助けた。ユダヤの伝説に出てくる泥の人形「ゴー…

 イギリス映画(1914年)

イギリスでも、戦争映画、戦意高揚映画が作られた。一方で、イギリス文学や歴史上の大事件に扱った文芸映画も製作されていた。 元はウィル・C・バーカーの元で働いていたG・B・サミュエルソンは、アイズルワースに撮影所を建設して、映画製作に乗り出して…

 ロシア映画(1914年)

多くの作品が製作されるようになっていたロシアでは、第一次勃発直後には、多くの愛国主義的な戦争映画が作られている。 一方で、文芸作品も多く作られており、この年はトルストイ原作の「アンナ・カレーニナ」「クロイツェル・ソナタ」(1914)が製作さ…

 デンマーク映画(1914年)

デンマークではこの年、カイ・ヴァン・デア・オー・クーレ演出の「黄金の角笛」(1914)がダンマーク社で製作されている。伝統的な魔除けの行方を数世紀に渡って追う物語だった。 また、A・W・サンベア監督の「九本の指の男」シリーズが、1914年か…

 イタリア喜劇の衰退と未来派映画

イタリアでは喜劇も盛んだったが、この頃になると喜劇スターは名前を消し始め、何人かの俳優が喜劇的な効果を狙うという普通の形の喜劇が作られるようになってきた。 アンブロージオ社製作、ロビネット主演の「足の恋」(1914)は、出会い、激しい恋、決…

 イタリア、ディーヴァの君臨

この頃、「ディーヴァ」と呼ばれた人気女優がイタリア映画を支配したと言われている。貴族や金融資本家たちは、ディーヴァの美しさにかけ、多額の投資をし、製作者・監督たちはディーヴァの奴隷となった。だが、ディーヴァの給料は決して高くはなかったとい…

 イタリア ネオレアリズモの先駆的作品

当時のイタリアの文学・演劇の世界では、18世紀末から19世紀始めにかけて、イタリア南部貧困階層を描いたヴェリスモ(真実主義運動)が起こっていた。 ヴェリスモ(真実主義運動)の劇作家だったナポリのロベルト・ブラッコは、戯曲「闇に迷った人々」の…

 イタリア ダンヌンツィオの影響

高い独創性、力強さおよびデカダンスが当時高く評価されていたガブリエーレ・ダンヌンツィオは史劇のみではなく、イタリア映画全般に影響を与えていた。 ダンヌンツィオのイタリア映画の影響について、吉村信次郎が「世界の映画作家32 イギリス映画 イタリ…

 イタリア映画最高の成功作「カビリア」

そんなイタリアでは1912年に製作され、世界的にヒットした「クォ・ヴァヂス」の成功の再現を狙い、「スパルタコ」(1914)といった作品が作られている。 イタラ社製作の「カビリア」(1914)は、そんな「クォ・ヴァヂス」の成功の再現を狙った作…