1912
「HOW A MOSQUITO OPERATES」(1912) 製作国アメリカ ヴァイタグラフ・カンパニー・オブ・アメリカ製作 ジェネラル・フィルム・カンパニー配給 監督・製作・脚本・作画ウィンザー・マッケイ 蚊が眠ろうとしている男の血を吸い取るが、吸い過ぎてお腹が…
「FALLING LEAVES」 1890年代後半からフランスのゴーモン社で映画草創期の映画を監督し、その後アメリカへ渡っていたアリス・ギィが、自身も設立に参加したソラックス社で監督した作品。 季節は秋。結核にかかったひとりの少女。医者は家族に、「最後の…
「MAKING AN AMERICAN CITIZEN」 ゴーモン社で世界初の女性映画監督として活躍したアリス・ギィがアメリカで撮影した作品。ギィ自身も設立に参加したソラックス社が製作。 ロシアから移民としてアメリカへやってきた夫婦。妻を虐待していた夫は、アメリカの…
「THE CHARGE OF THE LIGHT BRIGADE」 エジソン社製作。サール・ドーリー監督。 クリミア戦争での実際の出来事を元にした、アルフレッド・テニソンの詩をモチーフにした作品。誤った命令により窮地に陥るも、英雄的に戦う兵士たちの姿を描く。 800名に及…
「THE LAND BEYOND THE SUNSET」 エジソン社が赤十字などと提携して製作した、貧しい子供たちの存在と子供たちを助ける団体の存在を知らしめるために製作された作品である。と書くと、大げさに描かれた貧困の状況や、むやみに笑顔を振りまく団体の人々という…
「CHILDREN WHO LABOR」 エジソン社による作品。子供の労働に反対する団体と協力して製作されている。 資本家の娘が行方不明になる。娘は貧しい移民の家族に拾われ、他の移民の娘たちと一緒に工場で働きだす。皮肉にも、資本家はその工場を買い取り、娘を雇…
「A CHRISTMAS ACCIDENT」 隣同士に住む、貧しくも多くの子供たちに囲まれて幸せに暮らす家族と、金持ちだが自己中心的な老いた夫と心の優しい老いた妻の夫婦。自己中心的な金持ちの老いた夫に、隣に住む家族はいつも寛大に接している。クリスマス・イヴの夜…
「AN UNSULLIED SHIELD」 名家の男性が享楽的な生活を送り、借金を重ねてしまう。首が回らなくなるほど借金を重ねた男性の夢の中に、輝かしい功績を残した先祖が現れて男性に説教をする。夢から覚めた男性は、母親に借金のことを話し、母親は借金の肩代わり…
「THE PUBLIC AND PRIVATE CARE OF INFANTS」 双子を持つ未亡人が、働くために子供の1人を知人に預け、もう1人を施設に預ける。施設に預けた方の子供は適切な扱いをされず、最後には死んでしまう。 社会的メッセージの強い作品。「子供は自分で愛を込めて…
「THE TOTVILLE EYE」 舞台は田舎の新聞社(題名は新聞名)。編集者が急遽いなくなってしまい、少年が町に出てネタを仕入れてくる。翌日発行された新聞は、飲酒したとして糾弾されていた牧師や、家主に追い出されそうになっていた女性や、ケンカ別れしそうに…
「THE PASSER-BY」 結婚式前夜。友人たちが集まり新郎を囲んでパーティが開かれている。余興に、通りがかりの1人の初老の男性を連れてきて、その男性に過去の話をしてもらう。結婚式前夜に相手の女性に結婚を破棄され、その女性のことが忘れられずに仕事で…
この頃のエジソン社は1巻もののライト・コメディやシリアスなドラマなどを作っていた。その質は悪くなかったものの、時代は2巻もの以上の長編やスターの時代へと移っていった。エジソン社はそうした時代の流れに対応できなかった。 エジソン社は作品よりも…
当時、国内で映画を製作するより、外国映画を購入するほうが事業としての安全性が高かったため、興行映画の70パーセント以上は輸入映画だったという。 日活や天活はロンドンにある出張所や、横浜の貿易商から買い入れて興行を行った。横浜の平尾商会が名作…
1912年は、明治天皇が崩御し、元号が大正へと改められた年でもある。明治天皇崩御の後、乃木希典大将が明治天皇の後を追って殉死した。牧野省三はすぐに尾上松之助主演で「乃木将軍と生涯」(1912)という作品を製作している。 また、第二福宝館で上…
1912年の日本映画界最大の出来事は日本活動写真株式会社(日活)の誕生である。 1911年に、エム・パテーの梅屋庄吉を中心に設立された大日本フィルム機械製造会社が、エム・パテーを買収。続いて、浅草のルナパークと大阪の劇場を火災で失い、経営的に…
1912年には、後に映画人として名を上げていく人々が活躍を始めた年でもある。 チャールズ・チャップリン、バスター・キートンとともにサイレント期の喜劇を支えるハロルド・ロイドは、1912年にエジソン社に俳優として入社している。 映画監督として活…
ロシアでは、「カメラマンの復讐」(1912)という作品が製作されている。 ハンジョンコフ社製作、ヴワジスワフ・スタレーヴィチ監督の動物人形アニメーションである。スタレーヴィチは他にも、「うるわしのリュカニダ」「動物の生活から」(1912)と…
チェコにおいては、1908年、最初の映画製作会社キノーファ社が設立されていたが、1912年にはアースム社が設立され、多くの映画を製作している。野外で撮影され、ロング・ショットを繋げたものだったという。 ハンガリーにおいては、1912年に小さ…
スウェーデンにおいては、発声映画の特許の1つを入手して興行的に成功させたチャールズ・マグヌッソンが、1909年にスヴェンスカ・ビオ社に入社、映画製作を開始していた。さらに、マグヌッソンは1911年に小さな撮影スタジオを建設し、映画を製作し…
ドイツでは1912年にトラストの設立が計画され、挫折している。 フィアグ社が、ドイツにおいて公開されるすべての映画を手中に収めようとしたが、興行者たちの反対で挫折し、清算されている。また、パテ社が1912年に代理店を置いたことに対抗するため…
デンマークの人気映画女優のアスタ・ニールセンは、ニールセン専門の演出家だったウアバン・ギャズと1912年に結婚している。2人はデンマークで3本映画を製作した後、ドイツのドイチェ・ビオスコープ社に向かい、ニールセンの人気は全ヨーロッパに広がっ…
文芸映画などで順調に映画製作が行われていたイタリアでは、この年から大規模な史劇が製作されるようになり、世界的に大ヒットすることとなる。 その筆頭とも言える作品が、「クォ・ヴァヂス」(1912)だ。チネス社が、全世界に人気があったヘンリック・…
特殊撮影を先駆けて担当したセグンド・デ・チョモンは、パテ社からの委託でスペインで映画製作を行っていたが、1912年にイタリアのイタラ社へと移籍している。イタラ社には特殊効果ができる撮影技師として招かれ、後に「カビリア」(1914)の第一撮影…
かつて世界で最も人気を得た映画製作者だったジョルジュ・メリエスも、この頃にはほとんど映画を製作しなくなっていた。パテ社は1911年に「ミュンヒハウゼン男爵の幻覚」(1911)の製作をメリエスに依頼したが、成功には至らなかった。 この年(19…
フランスでは、マックス・ランデーが引き続き活躍を見せていた。ランデーは人気を盾に、パテ社に年25万フランの3年契約を申し出て、パテ社は受け入れている。ランデーはスペインで闘牛士の格好をして子牛と闘い、喝采を浴びている。この模様はフィルムに…
昨年(1911年)、ゴーモン社のルイ・フイヤードは、<ありのままの人生シリーズ>で社会を描いた作品を製作したが、エクレール社に所属していたヴィクトラン・ジャッセも同じ試みを行っている。 ジャッセは、実際の強盗団から着想を得て、「灰色の自動車」…
フランスおいて作られてきた文芸映画は、徐々に長篇へと向かっていった。 アメリカでアドルフ・ズーカーの手によって配給されて大ヒットする、サラ・ベルナール主演の「エリザベス女王」(1912)はロンドンで撮影されたものだが、上映に一時間かかった。…
かつて、草創期のフランス・ゴーモン社で製作責任者として活躍した女性の映画監督であるアリス・ギィは夫と共にアメリカに渡っており、ソラックス社を設立して映画製作を行っていた。 そのギィは、「MAKING AN AMERICAN CITIZEN」「FALLING LEAVES」といった…
ユニヴァーサルとミューチュアルという独立系の映画製作会社が設立された一方で、後の大会社「パラマウント」へとつながる映画製作会社が1912年には設立されている。映画興行で財をなしたアドルフ・ズーカーが設立した「フェイマス・プレイヤーズ」がそ…
バイソン社で映画を製作していたトマス・H・インスは、ミューチュアルのグループで西部劇「カスター最後の戦い」(1912)といった映画を製作していくことになる。 インスは、古典的な西部劇など庶民的な作品を製作し、C・ガードナー・サリヴァンが脚本…