2012-01-01から1年間の記事一覧

 その他のフランス映画 1923年

「ラ・バタイユ」(1923)は、ハリウッドでスターとなっていた早川雪洲がフランスに遠征し出演した作品である。早川は、エドゥアール・ヴィオレと共同で監督も務めた。早川の妻でもある青木鶴子が共演した。 ディミトリ・キルサノフは、「運命の皮肉」(…

 フランス 亡命ロシア人の活躍

ロシア革命の後に成立したソ連に留まらず、スターだったイヴァン・モジューヒンを始めとした映画人たちがフランスへ亡命してきていた。彼らは、自分たちの資金を使い、フランスで映画を製作した。 「火花する恋」(1923)は、モジューヒンが製作・脚本・…

 フランス 印象派ジェルメーヌ・デュラック、マルセル・レルビエ

印象派の監督の1人に数えられている女性監督のジェルメーヌ・デュラックは、「微笑むブーデ夫人」「ゴセット」(1923)を監督している。 「微笑むブーデ夫人」は、夫の無理解と妻の沈黙による憎しみの物語である。花瓶の位置を夫婦がそれぞれ無言で自分…

 フランス ジャック・フェデーの映画製作「クランクビーユ」

1921年に「女郎蜘蛛」でヒットを飛ばしたジャック・フェデーは、「クランクビーユ」(1923)を監督している。 パリの下町とスタジオで撮影された作品で、心理的要素によって法廷での場面が変形するといった工夫がされていた。また、影響力の大きい人…

 フランス アベル・ガンスの超大作「鉄路の白薔薇」

フランスを代表する映画監督となっていたアベル・ガンス監督の、「鉄路の白薔薇」(1923)が公開されている。製作に2年、製作費200万フランがかかった超大作である。娘として育てた血のつながっていない娘への愛情に悩む老機関士の心情を描いた作品…

 フランス映画 ジャン・エプスタンの活躍

ルイ・デリュックの提唱した映画独自の美を重視するフォトジェニー論を探求していたジャン・エプスタンは、秀抜なモンタージュの「まごころ」(1923)で評価を高めている。その他にも、「ラ・ベル・ニヴェルネーズ号」「赤い宿屋」「不実の山」(1923…

 その他のアメリカ映画 1923年

「冬来りなば」(1923)は、1922年最大のベストセラーとなったA・S・M・ハッチンスンの小説を映画化したもので、イギリスでロケ撮影された。理想主義の主人公が周りから誤解され、妻からさえ疎まれるようになる。病気になった主人公を慰めてくれ…

 ウォルト・ディズニーの出発 ウサギのオズワルド

第一次大戦後、カンザスシティで広告会社を始めていたウォルト・ディズニーは、映画館のコマーシャル用にアニメーションを製作していた。このアニメーションが好評で、短編アニメを映画館に売っていた。 1923年にディズニーは、広告会社を清算してハリウ…

 メイベル・ノーマンド人気の陰りと、その他のコメディ

マック・セネットの元で映画に出演していたメイベル・ノーマンドは、「スザンヌ」「臨時雇の娘」(1923)といった作品に出演したが、往年の人気を呼べずにいた。この後メイベルは、ハル・ローチ監督の短編コメディに出演してキーストン時代のような役柄を…

 キートン、ロイド 中産階級喜劇

かつてのキーストン喜劇が性を無秩序に描き、チャールズ・チャップリン甘い素直な恋の喜劇を描く中、バスター・キートンやハロルド・ロイドが出演する中産階級喜劇は、若い男女によって結婚をゴールにして描かれた。 そんなキートンやロイドの中産階級喜劇に…

 中産階級の上昇志向 ハルロド・ロイドの「要心無用」

チャールズ・チャップリン、バスター・キートンと並ぶサイレント期の三大喜劇王と言われたハロルド・ロイドは、最初の大ヒット作である「要心無用」(1923)に出演している。デパート店員のロイドは、恋人と早く結婚したかったが、給料が安く生活は苦しか…

 笑わない喜劇役者 バスター・キートン、長編へ

笑わない喜劇役者として活躍(笑わないのは、ボスだったジョゼフ・スケンクからの指令だったとも言われる)したバスター・キートンは、ファースト・ナショナルと契約をして短編を製作していたが、この年からメトロに移籍して長篇を撮り始める。ちなみに、キート…

 「巴里の女性」 チャップリン唯一の悲劇

チャールズ・チャップリンは、自身もオーナーの1人であるユナイテッド・アーティスツ社配給で、「巴里の女性」(1923)を製作している。森岩雄は、「アメリカ映画製作者論」で、チャップリンによる「巴里の女性」製作を「芸術家チャップリンを、製作者チ…

 「偽牧師」 チャールズ・チャップリン最後の雇われ仕事

チャールズ・チャップリンは、ファースト・ナショナル社との契約における最後の作品である「偽牧師」(1923)を監督・主演している。脱獄犯が逃走中に牧師の服を盗み、ある村の新任牧師と勘違いされるというストーリーの作品だ。 「偽牧師」は、聖職者たち…

 大女優たち ナジモヴァ、スワンソン 1923年

自身のプロダクションを設立するも失敗続きだったアラ・ナジモヴァは、「サロメ」(1922)を製作するも失敗に終わっている。「サロメ」は、自身のプロダクションの最後の作品となった。 セシル・B・デミル監督作品で、セックス・アピールを売り物にした…

 大スターたち バーセルメス、ナヴァロ 1923年

人気スターのリチャード・バーセルメスは、ジョン・S・ロバートソン監督の「ブライト・ショール」(1923)といった流行の冒険時代劇で活躍した。 ラモン・サマニヨゴスから改名して、スターへの道を突き進んでいたラモン・ナヴァロは、レックス・イング…

 ハリー・フーディーニ 最後の映画製作

脱出物を得意とした奇術師のハリー・フーディーニは、、映画にも進出していた。「密偵ハラデン」(1923)は、フーディーニが設立したフーディーニ・ピクチャー・コーポレーションで製作された作品である。 シークレット・サービスの調査員に扮したフーデ…

 ルドルフ・ヴァレンティノの反乱とエリノア・グリン

ハリウッドで最高のスターの1人だったルドルフ・ヴァレンティノは、所属する映画会社パラマウントの自身への処遇に不満を持ち、裁判にまでなっていた。 ヴァレンティノは、ダンスの公演や美顔クリーム会社の宣伝、自伝の出版、各地の映画館での舞台挨拶、ダ…

 チャールズ・レイ あるメアリー・ピックフォード的男優の話

一人前になる体験に直面してしり込みする若者を演じ続けることでスターの座を保った役者がいる。彼の名前をチャールズ・レイという。彼は「哨兵」(1915)の頃から同じような役柄を演じ続け、1923年にも同じような役柄の「我が恋せし乙女」(192…

 「ロジタ」 メアリー・ピックフォードの脱皮の試み

「ロジタ」(1923)は、メアリー・ピックフォードがエスメラルダ、カルメン、陽気な未亡人などを演じた超大作である。監督は、ドイツから招いたエルンスト・ルビッチが担当した。当初は歴史物の「ドロシー・ヴァーノン」を企画し、以後現代的な若い女性を…

 少女役から脱皮できないメアリー・ピックフォードの苦しみ

アメリカを代表する女優として活躍していたメアリー・ピックフォードだったが、30歳を超えたこの頃になっても、少女の役ばかり演じていた。大人の女優への脱皮を図りたいと考えていたピックフォードは、1923年に演じて欲しい役柄をファンから募集して…

 リリアン・ギッシュの1人立ち 「ホワイト・シスター」

かつての地位を失いつつあったD・W・グリフィス作品の主演女優だったリリアン・ギッシュは、イタリアを舞台にした恋愛物語で、実際にイタリアで撮影が行われた「ホワイト・シスター」(1923)を製作・出演している。 この作品はリリアンと同じくグリフ…

 「ノートルダムのせむし男」 ロン・チェイニーの真骨頂

後に「フリークス」(1932)という問題作を監督するトッド・ブラウニングは、インドシナ半島で麻薬の王国を築き上げた麻薬の女王の冒険物語である「妖雲渦巻く」(1923)や、ヨーロッパからやってきた詐欺師集団の物語「白虎」(1923)などを監督…

 アメリカ映画史上最初の叙事詩西部劇「幌馬車」

西部へと向かう幌馬車隊の人びとのドラマや恋愛を、インディアンによる襲撃、大河川の横断、飢えとの戦いといった西部劇の定石で描く「幌馬車」(1923)が製作されている。「幌馬車」は後に1ジャンルとなるロード・ムービー的な側面も持っている。 パラ…

 シュトロハイムの苦難の始まり 「メリー・ゴー・ラウンド」

「愚なる妻」(1922)で興行的なヒットを飛ばしながらも、その完璧主義から多額の製作費を使う監督というレッテルを貼られたエーリッヒ・フォン・シュトロハイムは、遊技場のオルガン回しの娘と伯爵の恋を描く「メリー・ゴー・ラウンド」(1923)を…

 映画監督ジョン・フォードの誕生

後に「西部劇の神様」と呼ばれる大監督となるジョン・フォードは、ユニヴァーサルで二巻ものの西部劇を多く演出していた。フォックス社では西部劇スターのトム・ミックス主演作のほか、西部劇ではないジョン・ギルバート主演の「侠骨カービー」(1923)を…

 D・W・グリフィス 理想と現実の狭間で

かつて、「国民の創生」(1915)や、「イントレランス」(1916)を監督し、世界の映画界の中心だったD・W・グリフィスは、第一次大戦後のアメリカ映画界の好景気に乗った人々の喜ぶ映画を製作していたが、かつての理想や覇気は感じられなくなって…

 セシル・B・デミルの旋回「十誡」

セシル・B・デミルは、それまでも多く監督してきたセックス・アピールを売り物にした「アダムス・リブ」(1923)を監督した。だが、その後デミルは内容を大きく旋回した作品を監督している。モーゼの十戒の話と、十誡を破ってやるとうそぶく現代の男性の…

 セルズニック映画社の倒産とワーナー・ブラザースの設立

セルズニック映画社とは、後に大プロデューサーとして活躍するデイヴィッド・O・セルズニックの父親であるルイス・セルズニックの会社である。 ルイスはユニヴァーサルに所属していたが、ボスのカール・レムリに追い出されて、セルズニック映画社を設立。そ…

 スキャンダルとハリウッド ウォーレス・リードの麻薬中毒死

不動産業者によってハリウッドランドの大看板が立てられたこの年、ハリウッドはスキャンダルに揺れていた。 1921年のロスコー・アーバックルの殺人容疑(パラマウントのアドルフ・ズーカーはこの年、パリで記者会見を開き、今後アーバックルの出演作は作…