1922

 映画評「狼の心」

製作国アメリカ 原題「THE TRAP」 ユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー製作・配給 監督ロバート・ソーンビー 原案・出演ロン・チェイニー 原案ルシアン・ハバード、アーヴィング・サルバーグ 脚本ジョージ・C・ハル 撮影ヴァー…

 映画評「影に怯へて」

製作国アメリカ 原題「SHADOWS」 B・P・シュルバーグ・プロダクションズ アル・リヒトマン・コーポレーション配給 監督トム・フォーマン 原作ウィルバー・ダニエル・スティール 脚本イヴ・アンセル、ホープ・ローリング 撮影ハリー・ペリー 出演ロン・チェ…

 映画評「巌窟王」

製作国アメリカ 原題「MONTE CRISTO」 フィックス・フィルム・コーポレーション製作・配給 監督エメット・J・フリン 原作アレクサンドル・デュマ 脚本バーナード・マッコンヴィル 出演ジョン・ギルバート、エステル・テイラー、ロバート・マッキム、ウィリ…

 映画評「ロビン・フッド」

製作国アメリカ 原題「ROBIN HOOD」 ダグラス・フェアバンクス・ピクチャーズ製作 ユナイテッド・アーティスツ配給 監督アラン・ドワン 製作・脚本・出演ダグラス・フェアバンクス 撮影アーサー・エディソン 出演ウォーレス・ビアリー、サム・ド・グラッス、…

 映画評「太古の恋人」

製作国アメリカ 原題「THE PRIMITIVE LOVER」 コンスタンス・タルマッジ・フィルム・カンパニー製作 アソシエイテッド・ファースト・ナショナル・ピクチャーズ配給 監督シドニー・フランクリン 製作ジョセフ・M・スケンク 原作エドガー・セルウィン 脚本フ…

 映画評「船に打ち乗り海原指して」

製作国アメリカ 原題「DOWN TO THE SEA IN SHIPS」 ホエーリング・フィルム・コープ製作 W・W・ホジキンソン配給 監督・製作エルマー・クリフトン 脚本ジョン・L・E・ペル 出演マーゲリット・クールトウ、クララ・ボウ ニューイングランドにある、捕鯨で…

 映画評「海のモーラン」

原題「MORAN OF THE LADY LETTY」 製作国アメリカ フェイマス・プレイヤーズ=ラスキー製作 パラマウント・ピクチャーズ、フェイマス・プレイヤーズ=ラスキー配給 監督・製作ジョージ・メルフォード 原作フランク・ノリス 出演ルドルフ・ヴァレンティノ、ド…

 映画評「巨巌の彼方」

製作国アメリカ 原題「BEYOND THE ROCKS」 フェイマス・プレイヤーズ=ラスキー製作 パラマウント・ピクチャーズ配給 監督サム・ウッド 原作エリノア・グリン 脚本ジャック・カニンガム 撮影アルフレッド・ギルクス 出演ルドルフ・ヴァレンティノ、グロリア…

 映画評「血と砂」

製作国アメリカ 原題「BLOOD AND SAND」 フェイマス・プレイヤーズ=ラスキー製作 パラマウント・ピクチャーズ製作・配給 監督・製作フレッド・ニブロ 原作ヴィセンテ・ブラスコ=イバニェス 脚本ジューン・マシス 撮影アルビン・ワイコフ 出演出演ルドルフ…

 映画評「屠殺者」

製作国アメリカ 原題「MANSLAUGHTER」 パラマウント・ピクチャーズ製作・配給 監督・製作セシル・B・デミル 原作アリス・デュアー・ミラー 脚本ジャニー・マクファーソン 出演レアトリス・ジョイ、トーマス・ミーガン、ロイス・ウィルソン 当時の上流階級の…

 映画評「極北の怪異(極北のナヌーク)」

製作国アメリカ・フランス 原題「NANOOK OF THE NORTH」 Les Frères Revillon、パテ・エクスチェンジ製作 監督・脚本・撮影ロバート・J・フラハティ 長編ドキュメンタリー映画の元祖とも言われる作品。と言っても、公開当時はまだ「ドキュメンタリー」とい…

 映画評「愚なる妻」

製作国アメリカ 原題「FOOLISH WIVES」 ユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー製作・配給 監督・原作・脚本・出演エリッヒ・フォン・シュトロハイム 撮影ウィリアム・H・ダニエルズ、ベン・F・レイノルズ 出演ルドルフ・クリス…

 その他の日本映画 1922年

1920年に設立され、トーマス栗原や谷崎潤一郎らが活躍した大正活映は、松竹キネマに版権を譲渡して、映画製作を中止している。この後、映画興行会社として存続するが、1927年に解散することになる。 この年、映画のための俳優を養成するための学校が…

 輸入映画、記録映画、ニュース映画−1922年

1922年には下記のような映画が公開されている。 アメリカ:「征服の力」「蛟竜を描く人」「散り行く花」「東への道」「黙示録の四騎士」「かげろふの命」 「愚か者の楽園」「シーク」「アナトール」「豪傑ベン・タービン」 スウェーデン:「不滅の霊魂」…

 田中三郎と森岩雄とキネマ旬報

映画雑誌「キネマ旬報」の創刊者の1人である田中三郎は、松竹の外国部に所属しながら雑誌の編集も行っていたが、この年松竹を退社して雑誌編集に専念している。この頃になると同人も増え、古川緑波、飯島正なども参加していた。 そのキネマ旬報では、192…

 牧野省三の「実録忠臣蔵」

独立プロダクションである牧野教育映画製作所で映画製作を行っていた牧野省三は、教育的な映画だけでは経営が苦しくなっていた。 そんな牧野は「実録忠臣蔵」(1922)を製作した。赤穂城のロケに姫路城を初めて使用した。使用においては、牧野所属の映画…

 山本嘉次郎の日活入社

後に監督して活躍する山本嘉次郎は、小林正脚本、鈴木俊夫監督の「真夏の夜の夢」に出演したりと役者として活躍していた。小林と山本は親友だったという。また、山本は、岡田嘉子とラブ・シーンを演じた。横浜の大正活映の跡のセットを借りて撮影が行われ、山…

 女形の最後の輝き 日活・田中栄三監督「京屋襟店」

旧来の体質で女優ではなく女形による映画製作を続けていた日活の中で、映画革新に望んでいた田中栄三は、「京屋襟店」(1922)で監督・脚本を努めている。 女優ではなく女形が出演していた「京屋襟店」は、女形が出演する新派調映画の、最後の、そして最…

 日活 女形との訣別

当時の日活は、昼夜2回興行を行うようになった松竹に追随した。だが、昼夜2回興行を行うにあたっては、現代劇の不振を何とかする必要があった。その現代劇の足を引っ張っていたのが女形の存在だった。松竹との「永遠の謎」(1922)の競作では、女優陣…

 松竹 蒲田映画の成功

松竹蒲田が製作する映画は、製作本数が増えた。1922年の浅草松竹館では、それまでは外国映画も混ぜなければ足りなかったが、松竹映画のみで興行ができるようになった。 松竹蒲田では、若い製作人が活躍した。1922年時点で、牛原虚彦と島津保次郎は2…

 その他の松竹 1922年

蒲田では他にも、「不如帰」(池田義臣監督)、「地獄船」(野村芳亭監督、伊藤大輔脚本)、「青春の罪」「祇園夜話」「噫小野訓導」「清水次郎長」「地蔵物語」「火華」「海の呼声」「妖女の舞」「傷める小鳥」「堅き握手」といった作品が作られている。 「…

 松竹蒲田 所長野村芳亭の活躍

蒲田の撮影所長だった野村芳亭は、勝見庸太郎主演の「清水次郎長」(1922)を監督している。舞台的なものとは異なる映画的なスピーディな動きとリアルな剣戟を見せようとし、宣伝でも「新時代劇」の文句が使われたという(時代劇なる呼称がもてはやされ…

 松竹蒲田 牛原虚彦、島津保次郎の復帰

芸術的な映画製作を目指していたが1921年に解散した松竹キネマ研究所に所属していた牛原虚彦は、松竹蒲田撮影所に復帰していた。 「母いづこ」(1922)は、そんな牛原虚彦が監督した作品である。アメリカ映画「オーバー・ゼ・ヒル」(1921)が輸…

 スウェーデン映画、フィンランド映画 1922年

スウェーデンでは、ヴィクトル・シェーストレームが、フランス人作家ピエール・フロンデー原作の「包囲された家」(1922)を監督したが、失敗作といわれている。児童ものを得意としていたというシーグルド・ヴァレーン監督は、「アンデショーン夫人の家の…

 中国 中国初の本格的劇映画製作会社「明星影片公司」設立

1922年の中国では、かつての新民公司で共に映画製作を行っていたチャン・シーチュアンとチョン・チョンチュウが再び組み、上海で明星影片公司を設立している。この会社は、中国初の本格的な劇映画製作会社と言われている。 当初はチャンの意見でアメリカ…

 アイルランド共和国の誕生と映画製作

アイルランドでは、イギリスからの独立戦争が行われていたが、イギリスとの間で条約が締結され、1922年にアイルランド共和国が誕生した。しかし、この条約によりアイルランドの南北が分断されてしまい、内戦が勃発しており、映画界にも大きな影響を与え…

 デンマーク 「魔女」 現代にはないタイプの作品

衰退していたデンマーク映画だが、A・W・サンベア監督の「大いなる遺産」「デイヴィド・コパーフィールド」(1922)といったチャールズ・ディケンズ原作作品が作られている。 デンマーク人のベンヤミン・クリステンセンは、デンマークとスウェーデンの…

 イタリア 不振の中の秀作「過去よりの呼び声」

1922年に作られたイタリア映画としては、ジェンナーロ・リゲッリ監督の「過去よりの呼び声」(1922)がある。イタリアの売れっ子劇作家ファウスト・マリア・マルティニの原作を映画化した作品だった。死んだわが子の代わりに育てた若者を女として愛…

 不振が続くイタリア映画

1922年は、ムッソリーニが政権についた年である。ムッソリーニ政権は、出版検閲などを行ったが、映画に対する圧力はまだなかった。だが、新しい発想は生まれず、映画界は史劇大作のみをつくるのみだったという。活躍の場がない若手の監督たちは、外国で…

 イギリス 若い映画人の台頭 バルコン、ウィルコックス

不振だったイギリス映画だったが、若い才能が芽生え始めていた。 後に、イギリス的性格を作品に反映させた映画製作者の1人となるマイケル・バルコンは、生地バーミンガムで配給業をやっていたが、1922年にヴィクター・サヴィルらとイズリントンに独立プ…